2009年10月15日

ここは銃社会

昨日、歩いていたら、3歳くらいの男の子がおもちゃの銃を持って、


私に向けて、


「バンバーン」

と言ってきました。



死んだフリがとっさにできなかった私はやはり関西っ子でなく博多っ子です。笑






先日知り合いの知り合いが夜中友達を見送ったあと、


あ〜なんかバロット食べたいな〜 となぜかふと思ったらしく、


近くの屋台でバロットの殻を向いていると、


突然、



パーーーーーン!
パーーーーーン!


と本当の銃声が鳴ってあわてたそうです。



話によると、10代の男の子たちがさーっとどこかに逃げていったようで、



女の人が肩を押さえながら悲鳴をあげ、(おそらくあたったっぽい)


周りの人たちが警察、警察、と言ってたそうです。


その女の人がその男の子たちと関係してたかどうかは、現場にいたその人にもつかめなかったそうです。




そして、もう一人男の人のひざも弾がかすっていたようで、

こちらはさほどのけがではなかったので、


本人もびっくりしつつも

「オレってツイてね〜な・・・」


という軽いリアクションだったようです。





もし私だったら、ショックで気絶してしまいそうなのですが。


さすが、銃社会です。


人々の銃への慣れ度合いが、


武器を作らず、持たず、持ち込ませず、の日本とはだいぶ違います。








銃口はいつも人を向いています。

自分の身は守れたとしても、それが解決策には絶対になりません。


それは世界で起きてる戦争にもいえることです。





とにかく、銃社会に今いるので、

色々警戒も必要だな〜と思ってるところです。
posted by kayokor at 14:28| セブ 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

出逢い

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大好きな相田みつをさんの詩の一つです。




人と人との出逢いってすごくおもしろくて、


ここセブに来て、日本にいたらきっと一生会うことはなかったろうな〜


っていう人々と出逢えたりするのが素敵です。




2,3日前からセブにダイビングに見えていた、3人の女性と今回出逢えたのも、


プルメリアとセブのおかげでした。


関西住まいの3人は久しぶりに私を関西のノリを思い出させてくれました。


それぞれがそれぞれとても素敵で、魅力的で、


一緒に話したりしたのはほんの少しだったんですが、



温かい気持ちにさせてくれて、


出逢いって本当に偶然で、素敵だな〜と心から感じました。






金八先生じゃないけど、


人はやっぱり人と一緒に生きていて、


お互いに励ましあったり、信頼しあったり、助け合ったり できることで


自分の居場所と本当の自分を見つけられるのではないかと思います。






24の私には、これからもっとたくさんの出逢いが私を変えてくれるんだろうと思います。


全ての出逢いをプラスに考えられる大人な大人を目指します。







セブより、よき出逢いを!
posted by kayokor at 13:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

心の叫び

@これ以上、あなたのウンコを私の部屋に残さないでください。





Aこれ以上、私のことを刺さないでください。





Bこれ以上、私のチョコレートを食べないでください。







なぞなぞです、誰へ向けたメッセージでしょうか?




セブの暮らし、慣れたとはいえ、

この心の叫びが怒りに変わりつつありますが、

この怒りの矛先を、今度はどこにも向けようがないんですね〜



なぜか、


それが人間でないからかもしれないです。











解答
@ねずみ
A蚊
Bあり








今日はこれから、地元のカルボン・マーケットにいってきま〜す!



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posted by kayokor at 11:16| セブ 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月08日

なんでなくならない?

昨日、中流層の友達と話していた時に、


ん?


と思う節がありました。





この国を貧しくしてるのは、貧困層なんだ。

彼らが、どんどん子どもつくるから、この国はどんどん貧しくなる。

だいたい、しつけがきちんとされてないんだよ。







はたして、そう思いますか?


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だいたい、同じ国に暮らす同胞のことを、こんな言い方する?

「しつけ」ってかなり上から目線すぎじゃない?


ってちょっといらっとしたのですが。


日本にもいますよね、

ホームレスや派遣切りされた人のことを、自己責任とか努力しないからだという人。



そういう人たちこそが哀れです。





話は戻って、


確かに、無計画に子づくりがなされている家庭もあります。
これは確か。

貧困層に大家族が多いともいえるかもしれない。
これも確か。





けど、



そもそも、その貧困を生み出したのって何?誰?


その貧困の問題解決に当たろうとせず、文句ばっかり言って、彼らを同じ人間と扱ってないのはどなた?





貧しい→学校に行けない→いい職につけない→貧しい

お金持ち→学校に行ける→いい職につける→お金持ち






この悪循環(お金持ちにとっては好循環か?)がなぜなくならないのか。





それは、お金を持っている人たちが、自分たちに損のない、害のないよ生活をやめないからではないでしょうか?


貧しい人々がみな知識をつけてしまって、的確な判断を国民全体がするようになったら、
困る人たちがいるからではないでしょうか?



貧しい人々は貧しいままに仕向けられているんじゃないでしょうか?





これは、この国だけのことじゃなくて、世界全体でも言えることで。






こういう話を聞くと苛立つのと同時に悲しい現実を垣間見た気にもなります。




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みんなが「正しい」判断ができるようになったら、

貧困も、戦争も、なくなって、世界はもっとよくなると思います。


やっぱ「教育」って大事。





参考URL
http://www.cebu-plumeria.jp/012/index.htm

本当に納得です。
posted by kayokor at 14:04| セブ 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

石清水八幡宮=ラプラプ?

赤信号に変わったのを見計らって、私の目の前にいたおばちゃんが、

よいこらせ、と折りたたみ椅子をこしらえて、座ったのが、

なんとも、のんびりしてるな〜と思って隠し撮りしちゃいました。

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さて、今日は、マクタン島のラプラプ像を見に行ってきました。


覚えてる方、ははは、ご愛読に感謝です。
(前回の話http://kayokor.seesaa.net/article/124917956.html




兼好法師の仁和寺の法師の話、みなさん覚えてますか?



有名な石清水八幡宮に行きたい行きたいと常日頃思っていた仁和寺の法師が、

願い叶ってそこに行く機会がありました。

次の日仲間の法師に、話すのです。

「やっと念願を果たしたよ〜それにしてもなんで他の参拝客たちは上へ上へ登っていったんだろうか?」




あんたが言ったのは石清水八幡宮じゃなくて、その山のふもとにある別の寺だったんだよ、ってオチのやつです!





なんと、私は仁和寺の法師だったわけ!笑

前回のブログを書いた次の日、友達に例のラプラプの写真を見せていると、


「これどこ?これどこのラプラプ?」

って言われて、私は、


「???」

って感じだったわけです。


で、詳しい話を聞いてると、かの有名なラプラプ像は全く私が見たものと別の場所で、別の格好で!


もうブログも書いたことだし、大方の人は知らないからいいや〜

と思って、特に訂正もしなかったのですが。笑



そして、今度こそ、念願の「本物の」ラプラプ像参拝してきましたとさ!


DSCF4236.JPG


やはりイケメン・マッチョです!!


せっかくなのでオシリもどうぞ!

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キスもできます。笑

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天気が抜群によかったので、これまたよかったです。


ふ〜。これで、もう思い残すことはないはずです!

posted by kayokor at 21:32| セブ 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

神父さんの話

先日、孤児院でカトリックの行事「ノヴェナ(9日間の祈り)」に招待されたので、参加してきました。



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神父さんの長〜い話は、日本の学校の校長先生の話を思い出させました。笑


写真のように、子どもたちのダンスがあり、


そのあとは、お食事会があり、

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子どもたちとワイワイ楽しんできました。




そして、話は戻って、話の長い神父さんなのですが、


DSCF4094.JPG


ほとんど現地語で話しているので、もちろん私はほぼ理解できてないのですが、


ところどころ、要所なのかわからないけど、英語で話すところがあって、


気になったのが、




「サンフランシスカンは裕福な生まれでしたが、あえて貧困を選んだのです」



これ、普通だったら、普通に流せるイイ話って感じだけど、



言ったら、聖人が修業的な感覚で貧困層になったってことかな。


これって、貧困の存在を認めてるし、美化してないか?と思ったのです。



確かに、キリスト教自体が迫害されている人々の間で信仰が広まった歴史を持つのですが、




現在、ここフィリピンで、貧しい人々にこのような教えがなされるということは、


人々が「貧困である」ということに不満を持たないように、
上手く、つなげている・操作しているような気がしたのです。


貧困層の人からしたら、確かに、こういうのが心の救いになるのかもしれないけど、



これを「国教」として信仰を強制させるということは、



スペイン統治時代から今に続く、支配者たちの狙いが確かにここにあるのだと思いました。







あ、キリスト教を批判しているのではないです。


政教分離を望んでいるだけです。




posted by kayokor at 12:38| セブ 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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私が今研修させてもらってるNGO団体です。
一人でも多くの方がこの活動に参加していただけますように!
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